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京都地方裁判所 昭和59年(ワ)919号 判決 1987年1月30日

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 山下綾子

同 山下潔

同 森下弘

被告 乙山春夫

右訴訟代理人弁護士 川村忠

同 宮川清

主文

一  被告は、原告に対し、金四一万一五三〇円とこれに対する昭和五九年五月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金四六六万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日から完済に至るまで年五分の割合の金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求原因

一  被告は司法書士の資格をもちその業務を営んでいる。

二  原告は、昭和五七年八月二一日、訴外山田眞継(以下山田という)に対し金六五〇万円を弁済期六ケ月後の約にて貸付けた。

しかし右山田は間もなく手形の不渡りを出し行方が判らなくなっていたが、昭和五七年一二月原告は同人と会うことができた。その際同人は別紙物件目録記載の不動産(以下本件土地という)の所有権を原告に移転することを承諾した。

三1  原告は、昭和五七年一二月はじめ頃、かねてから登記手続を委任して知己の間柄である被告に対し電話にて登記手続を依頼したところ、被告はこれを承諾し、用意すべき必要書類を指示し、持参するよう指示した。

そこで、原告は被告の指示した書類を整えて同月一〇日山田を伴って被告事務所を訪れ、山田の印鑑証明書、登記委任状、権利証及び原告の登記委任状を被告の履行補助者である事務員に交付したものである。

したがって、原被告間において、遅くとも登記委任状を被告事務員が受理した昭和五七年一二月一〇日には、委任契約(以下本件委任契約という)が成立している。

2  被告は、右契約に基づき登記手続をする義務があった。

被告は、右登記手続をしないことに決めたのであれば、原告に対し右の旨を通知すべきであり、又は契約解除の意思表示をすべきであった。

受任者は、特別な信義則と善管注意義務の要求する範囲においては委任者の請求がなくても積極的に説明・報告すべき義務があるから、原告が被告に登記費用を持参せずまた登記原因が不明で登記手続をすすめることができないため被告において委任事務を中止し、その間に預かった印鑑証明書の有効期限が徒過しそうになったとすれば、これは正に特別な信義則と善管注意義務が要求される場面であり、被告には右事情を原告に説明報告する義務があった。

四  原告は本件土地を売却して貸金を回収すべく努力したところ昭和五八年二月買主が現れ同月中旬取引をすることとなった。

ところがその時点で被告は未だ原告への所有権移転登記手続をしていないことが判明し、既に売主山田の印鑑証明の期限も切れていたため、原告は買主への移転登記ができず取引は不首尾に終った。

五  その後原告が努力を重ね右山田より再度必要書類の交付を受けて、昭和五九年二月一〇日本件土地を他に売却し貸金の一部を回収したが、被告の受任事務怠慢により原告は左のとおり合計金四四六万円の損害を被った。

1  金一六〇万円

昭和五八年六月一五日別紙物件目録一記載の土地が国民金融公庫に仮差押されこれを解くために要した金員。

2  金一〇万円

昭和五八年五月二四日滋賀県より本件土地に差押えがなされこれを解くために要した金員。

3  金二一六万円

原告は他より金六〇〇万円を月三分の利息で借入れ山田に貸していたが、資金回収が一年間遅れたことにより金二一六万円の利息の支払を余儀なくされた。

4  金八〇万円

先順位抵当権者との間で抵当権を金一五〇万円で抹消する契約ができていたところ、本件登記の遅れにより金二三〇万円を要求されたことによる損害。

六  よって、原告は被告に対し、被告の債務不履行により発生した損害の賠償として、請求の趣旨記載の判決を求める。

第三請求原因に対する答弁

一  請求原因第一項の事実を認め、同第二項の事実は不知。

二  同第三項の事実中、山田の印鑑証明書、登記委任状、権利証及び原告の登記委任状が被告の事務員に預けられた事実は認めるが、その余の事実は否認し争う。右山田は被告事務所を訪れていない。また、原告は、被告に対し登記費用(登録免許税等)を渡していない。被告は、原告からの登記費用の交付なしに登記手続を受任するほど原告とは親しくない。原告から委任契約の申込があったか分明でなく、被告はこれに承諾をしていない。委任契約は成立していない。

三  請求原因第四、五項の事実は不知。同第五項3、4の損害は、本件登記がなされなかったことから通常生ずべき損害にも、被告が予見し又は予見することを得べかりし損害にも該当しない。また右3の「月三分」の利息は利息制限法に違反している。

四  請求原因第六項は争う。

第四抗弁

一  原告主張の本件委任契約は原告から被告に対する登記費用の支払を停止条件とするものであると解されるところ、原告は被告に登記費用を支払っていないので右条件は成就しておらず、右契約に基づく債務不履行が生ずる余地はない。

二  原告は被告に対し、登記費用の前払をなすべき義務を負うものであるところ(民法六四九条)、これをしなかった。

被告が登記申請事務を完了しなかったのは原告から費用の前払がなかったことが主たる理由であって、被告の右不作為は正当な理由に基づくものであり、債務不履行とならないことは明らかである。

三  山田から原告への本件所有権移転登記がなされなかったことについて、被告には何らの過失も存しない。右は原告の過失によるものである。

1(一)  原告は、昭和五七年一二月一四日被告の留守中に被告事務所を訪れ、山田所有にかかる本件土地について同人から原告への所有権移転登記手続を依頼し、本件土地の登記済証、売渡証書、右両名の印鑑登録証明書及び委任状を持参した。被告事務員は右書類を預かった。

被告は、同日午後五時以降に外出先から事務所に帰り、事務員の記載した連絡帳を見て右事実を知るとともに右書類を一覧した。

(二) 被告は、翌一五日、本件登記申請事務に着手し、両名の委任状の不完全部分を補完し、登録免許税算出のために必要な本件土地の評価証明書の交付を受け、登記申請書を作成し、売渡証書の不完全部分を補完しようとしたところで作業を中止した。

その理由は原告の金融業という職業からして登記原因は売買でいいのか、代物弁済ではないのか、という疑問が生じたからである。

(三) そこで被告は、右同日午前中に近江八幡市内の原告事務所に電話し、事務員井上八重子(以下井上という)に対し登録免許税一二万八八〇〇円を持参するよう請求するとともに、登記原因についての右疑問点を述べ回答を求めた。(なお、井上は本件以前の原告から被告への登記依頼のほとんどすべてを原告の使者として行ってきた。)

これに対し、井上は登録免許税については「わかりました。」と答え、登記原因については原告に相談する旨答えた。

(四) その二、三日後にも被告は井上に対し右同趣旨の電話をしたが、原告側からは登録免許税相当の金銭は持参されず、登記原因についての返答もなかった。

そのため被告は原告が本件登記申請をしないことに決定したものと考え、本件登記申請事務を中止し、預り書類の保管場所を変更した。

(五) 山田の印鑑登録証明書の有効期限経過(昭和五八年三月九日)後三、四日経ってから、原告は被告事務所を訪れ、本件登記ができていない旨抗議したが、原告が本件登記手続を依頼するために被告事務所を訪れた昭和五七年一二月一四日から右日までの間原告側から被告に対して本件登記手続の進捗状況等についての問合せ、確認、督促は一切なかった。

(六) 以上によって明らかなとおり、被告は原告から登記に必要な書類を預かった後、直ちに登記申請事務に着手したが、再度にわたる請求にもかかわらず原告が登記費用を持参せず、又登記原因に関する質問にも返答しなかったので、原告が本件登記申請を断念したと考えて作業を中止したものであり、書類を預かったままこれを漫然と放置していたものではない。

右事情に本件以前に被告が原告から登記申請手続の委任を受けた際は登記費用はすべて前払を受けていた事実を考え合わせると、本件登記ができなかったのは原告側の過失によることは明白であり、被告に何ら過失はない。

2(一)  山田からあらためて同人の印鑑登録証明書の交付を受けるべく同人と交渉し、これを受領したのは被告ではなくて原告であった。

(二) 山田から原告への本件移転登記ができていないことが判明した後にも原告は被告に対し、二件の賃借権設定登記及び一件の抵当権設定登記の申請を依頼している。

(三) 本件土地は昭和五九年二月一〇日山田から訴外恒内甚吾に所有権移転登記がなされたが、右登記申請は原告の依頼により被告が行った。

(四) 原告の右各行為は被告の責任を追求する本訴請求とは全く相容れないものであり、当時原告は本件登記ができなかったのは自己の過失に基づくものであることを自認していたものと推認できる。

(五) 原告は、前述したところから遅くとも昭和五八年三月一〇日前後に本件登記がなされていないことを知ったと推認されるが、その後直ちに本件土地について処分禁止の仮処分、若しくは仮登記仮処分又は仮差押をなしていたならば、滋賀県の差押登記(同年五月二四日受付)及び国民金融公庫の仮差押登記(同年六月一五日受付)に後れることはなかったはずであり、原告が右両者に右登記を抹消してもらうために金員を支出する必要もなかったものである。そして原告は不動産業及び金融業を営む者として当然右のような権利の保全手段を知っていたものと推認されるから(原告は被告に対し競売について相談している)、右損害は同人の過失に基づいて生じたものといわざるを得ない。

第五抗弁に対する答弁

一  抗弁第一項は否認し争う。

二  同第二項は争う。民法六四九条によれば、「委任者は受任者の請求に因り」費用前払義務を生じるものであるところ、原告は被告から登記費用の請求を受けていない。したがって、被告が原告から登記費用の前払いがなかったことを登記申請事務中止の理由とするのは失当である。

三  抗弁第三項1、2の主張は争う。

1  被告は原告に対し登記費用の請求をしていない。

被告は、本件土地の評価証明書を近江八幡市役所から取り寄せたと云ったり法務局から取り寄せたと云ったりして矛盾しているが、いずれにしても評価証明書を全部取り寄せない限り登記費用(登録印紙代)は請求できないはずである。

原告は、本件委任までに八回被告に登記委任をしているが、被告より登記費用を請求されて支払わなかったことは一度もない。このことは被告も認めているところである。本件のみ被告より請求があったにもかかわらず支払わなかったとはとうてい考えられない。井上八重子の証言によるも被告より請求は一切なかった。

2  登記原因について

原告は、被告に対し予め電話にて山田より本件土地の所有権移転を受けるに至った事情を説明し、その後右移転登記の委任のために被告事務所を訪れたところ、被告事務員が「売渡証書」の用紙を交付し山田がこれに署名捺印し、その後被告は原告らの委任状に「売渡証書」による所有権移転登記と補充したのである。登記原因はこれで十分である。

山田が「売渡証書」に署名捺印して登記委任をし原告もそれに合意して登記委任をしている以上、被告はその委任の趣旨に沿った登記をすればそれで十分である。原告にとっては所有権移転登記を得ることが重要だったのである。

登記原因が不明であったと云うのは被告の単なる口実に過ぎず、被告より登記原因の問合せは一切なかった。

3  被告は原告が訴外垣内への本件土地の移転登記を依頼したことをもってあたかも被告に債務不履行が無かったかに主張するが当たらない。

被告は山田の権利証その他本件土地の所有権移転登記に必要な書類を全て所持していたから、それらの書類を使用して訴外垣内に移転登記をする以上被告に依頼するのが簡便であり、又訴外垣内への登記を被告に依頼することにより右取引に被告を関与させ、原告の最終的損害を被告に知ってもらう必要もあったために被告に依頼したものである。

4  被告は原告が本件土地に仮処分等の手続をしておけば損害を防げたと云うが、単なる不動産業者である原告にそのような知識はなく、むしろ被告の方から善後策としてその旨のアドバイスをすべきであったにもかかわらずそれもせず放置したものである。

第六証拠《省略》

理由

一  原被告の関係

被告が司法書士の資格をもちその業務を営んでいることは当事者間に争いがない。《証拠省略》によれば、原告は、株式会社甲野工務店の経営に従事した後、不動産業を始めてその売買や仲介にたずさわり、昭和五七年からは近江八幡市内で金融業も開始し、同年三月以降同年一一月までの間に合計八回にわたり被告に対し賃借権設定仮登記等の登記申請手続を委任したことが認められ、これを左右するに足る証拠はない。

二  委任契約の成立

1  《証拠省略》によれば、原告は、昭和五七年一二月一四日、原告の山田に対する債権回収のため、山田を同道して被告事務所に赴き、被告が不在であったため、応待にあたった被告事務所の事務員に対し、本件土地につき山田から原告への売買を原因とする所有権移転登記(以下本件登記という)申請手続を依頼し、右事務員の指示にしたがい、被告事務所備付けの登記委任状用紙には原告と山田の両名が、売渡証書には山田が、それぞれ署名捺印したうえこれを、持参した本件土地の登記済証及び原告と山田の印鑑証明書とともに右事務員に手渡して、もって本件登記申請手続委任の申込をしたこと、被告は、同日夕方外出先から事務所に戻り、事務員の記載した連絡帳と右書類をみて、原告らの右申込を知り、翌一五日、原告らの前記委任状の不完全部分を補充してこれを完成させるなどして本件登記申請事務に着手し、もって原告らの右申立に対し黙示的に承諾をし、ここに本件登記申請手続の委任契約が成立したことが認められ、これを覆すに足る的確な証拠はない。

2  なお、被告は、登記費用の交付がない限り登記申請手続の委任契約は成立しない、また登記費用の交付が本件委任契約成立の停止条件である(抗弁第一項)旨主張し、これに沿う証拠として被告の供述があるけれども、委任契約は元来諾成不要式の契約であり、司法書士による登記申請事務のうち一部の書類の作成などは登記費用の交付がなくても遂行でき、現に本件においても被告は前認定のように登記費用の交付を受けないのに委任状の記載を補充してこれを完成させているのであって、そうしてみると、登記費用(たとえそれが登録免許税であったとしても)の交付をもって登記申請手続委任契約の成立要件(停止条件である場合を含む)とみるのは相当でなく(そのような事実たる慣習の存在は窺うことができない)、本件委任契約が特に右趣旨の契約であったと認むべき事情もない(原被告間の従前の登記申請手続委任の実情を考慮してもなお未だ右特段の事情も認めるには至らない)から、被告の前記供述は採用できず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

三  被告の委任契約上の義務の不履行

1  右のように原被告間に本件委任契約が成立している以上、委任者でなければできない行為を除くその余の代替的事務の処理は、特段の事情のない限り、受任者である被告においてこれをなすことを要する。そして右事務処理に必要な登記費用は、それが登録免許税であると否とを問わず、その代替可能性の故に、被告において一時立替払をしてでも登記申請手続を完了させる義務がある(この費用は後日委任者に対しその支払を請求することになる)。

2  なお、当初の契約締結に際し、特定の事務処理は委任者が行うこととし、また特定の費用は委任者において予めこれを受任者に交付すべく、受任者においてはその立替払の義務を負わない旨の特約を結ぶことは勿論可能であるし、このような特約をしなかったときであっても、受任者は、費用の立替払を避けたい場合委任者に対し民法六四九条の費用前払請求権を行使することができる。そして右特約又は費用前払請求によって受任者の前記立替払をする義務は消滅し、委任者による費用前払義務の履行が受任者の事務処理を完了させる義務の履行に対し先履行の関係に立つから、委任者が、右特約に反しまた費用前払請求を受けたのにも拘らず費用を受任者に交付しないときは、受任者において右費用の交付されるまでの間暫時受任事務の処理を中止しても違法性や有責性を帯びるものではない。そして、このことは、司法書士がその受任にかかる登記申請手続の遂行に必要な登録免許税等の登記費用の出捐についても変るところがない。

3  尤も登記申請手続の委任契約の場合に留意を要するのは、司法書士が登記申請手続を遂行するのに必要な書類の一つである印鑑証明書には有効期限の定めがあり、その期限を徒過した後はその印鑑証明書を用いて登記申請手続をすることができなくなる点であって、そのような場合には司法書士において新しい印鑑証明書の再交付を受ければよいわけではあるけれども、登記義務者においてたやすく右再交付に応じるとは限らないから、司法書士が善良なる管理者の注意をもって受任事務を処理すべきことを考えると、司法書士が費用前払請求をしたのに委任者がこれを持参せず、そのため司法書士において登記申請事務の処理を暫時中止し、そのうちに印鑑証明書の有効期限の末日が迫ってきたものであったとしても、右費用前払請求から右有効期限の末日までの期間が長いような場合には、委任者が費用の前払をすべきことを迂闊にも失念していることも考えられるから、司法書士において、右期限徒過を避けるべく、委任者に対し、費用を持参しないため登記申請事務の処理を中止したままであること及び印鑑証明書の有効期限の末日が迫っていることを説明報告する義務が生じるものと解する。

4  なお被告は、前記登記費用の立替払の点について、抗弁第二項において、原告は被告に対し登記費用の前払をなすべき義務を負っていた等主張するところ、その趣旨が、司法書士の受任する登記申請事務の委任契約の場合は前記特約又は費用前払請求がなくても本来的に、また仮にそうでないとしても本件委任契約では特約によって、委任者の原告に費用前払義務があり、司法書士において登記費用を立替払のうえ受任事務を処理する義務を負わないという趣旨であるとすれば、採用しがたい。蓋し、被告の供述によれば、司法書士が登録免許税を含む登記費用の立替払をしている例も少くないことが認められるうえ、委任者は、一般に登記費用の種類や金額を知らないものと考えられるから、特段の事情のない限り、司法書士の費用前払請求にしたがい、また右請求がないときは司法書士が費用の立替払をした後の費用請求にしたがい、司法書士にこれを交付弁済すべきものというべく、更に、前認定の本件委任契約成立の経緯に照らすと、本件委任契約において、被告の費用前払請求がなされなくても、原告において予め登記費用を被告に交付すべきこと即ち被告が立替払の負担を負わないことが特に合意されたとは認めがたいからである。

5  更に被告は、前記登記費用の立替払の点について、抗弁第二項、第三項1において、被告は原告に対し費用前払請求をしたのに原告がこれを持参しなかったのであるから、被告が登記費用を立替払して登記申請手続を完了させることなくその事務処理を中止したことに違法性や過失はない旨主張するので、これについて検討するに、《証拠省略》によれば、被告は、昭和五七年一二月一五日、本件登記申請事務に着手し、原告らから交付を受けた委任状を補充完成させ、近江八幡市役所から登録免許税算出のために必要な本件土地の評価証明書の交付を受け(このとき被告は費用の立替払をしていると考えられる)、登記申請書を作成したが、原告の金融業という職業に鑑み登記原因は売買ではなくて代物弁済が正しいのではないかと思ったこと、そこで、被告は、近江八幡市内の原告事務所に電話をしたが、原告が不在であったので、事務員に対し、登録免許税を持参するよう請求するとともに登記原因に関する疑問を伝えたが、その後登録免許税は持参されず登記原因についての回答もなかった(なお、その事情は分明でない)ため、被告において、原告が本件登記申請をしないことにしたものと考え、本件登記申請事務の処理を中止し、預り書類の保管場所を変更したこと、その後原告から被告に対して本件登記手続の進捗状況等についての問合せなどはなされず、他方被告においても登記義務者山田の印鑑証明書の有効期限の末日が迫ってもその旨などの説明報告を原告にすることなく、遂に昭和五八年三月九日右有効期限が徒過してしまったことが認められ(る。)《証拠判断省略》

そして右事実によれば、(被告としては、原告から登記原因についての返答がなかった以上、売買を登記原因として登記申請手続をすべきであるから、右返答がなかったことを理由としては、本件登記申請事務の処理を長期間中止することを正当化しえないけれども)、原告が被告から登録免許税の前払請求を受けながらこれを持参しなかったのであるから、被告が本件登記申請事務の処理を中止したこと自体に違法性はない。

なお原告は、請求原因第三項2において、被告が受任事務の処理を中止するのであれば、その旨原告に通知し又は委任契約を解除する義務があると主張するけれども、右事務処理の中止が原告の費用前払義務の不履行に基因する場合は、被告に右通知又は解除義務があるとは考えられず、原告の右主張は採用できない。

6  しかしながら、右事務処理中止のまま二か月余を経て登記義務者山田の印鑑証明書の有効期限の末日が近づいた時点において、被告が原告に対し、登記費用殊に登録免許税の前払がないため登記申請の事務処理が中止したままになっていること及び山田の印鑑証明書の有効期限の末日が近づいていることを説明報告しなかったことは、受任者の善良なる管理者としての注意義務にもとる違法な行為というべきである。

四  損害等

1  《証拠省略》によれば、原告は、本件土地の転売先をみつけて、前記山田の印鑑証明書の有効期限徒過後の昭和五八年三月中旬ころ被告事務所を訪ねたが、その際本件登記申請手続がなされていないこと及び右印鑑証明書の期限徒過の事実を知り、その後山田から印鑑証明書の再交付を受けるべく努めたが、これを入手できないまま、他方本件土地につき処分禁止の仮処分を申請するなどの法的措置をとることなく、月日を経過し、昭和五九年一、二月ころ漸く山田からこれが再交付を受け、原告への所有権移転登記は省略し山田から転買人の垣内甚吾へ直接所有権移転登記をすることとし、被告に対する本件登記申請手続の委任は解除し、その代りに山田から右垣内への所有権移転登記手続を被告に委任してこれを完了し、原告は右垣内から本件土地売買代金として金八一〇万円を入手したこと、しかし、前記山田の印鑑証明書の有効期限の徒過後右垣内への所有権移転登記手続までの間の、昭和五八年五月二四日には滋賀県が本件土地に対し不動産取得税取立のための差押の、また同年六月一五日には国民金融公庫が本件土地のうち別紙物件目録一記載の土地に対し仮差押の各登記手続を了していたため、原告は、右各登記を抹消してもらうべく、滋賀県に対して昭和五九年二月一〇日金九万六一二〇円を、国民金融公庫に対して前同日金一五五万円をそれぞれ弁済することを余儀なくされたこと、及び山田には他に格別の資産がないことが認められ、これを覆すに足る証拠はない。

そして右事実によれば、原告は、被告から前記説明報告を受けたのであれば、被告に登記費用を前払し、山田の印鑑証明書の有効期限内に山田から原告への本件登記手続がなされていたであろうのに、被告の前記説明報告義務の不履行により右費用の前払ひいては本件登記手続がなされず、その結果原告において右合計金一六四万六一二〇円の損害を被ったと認めるのが相当である。

2  なお、原告が請求原因第五項3、4で主張する損害は、被告の前記説明報告義務の不履行から通常生じる損害とはいえず、また被告においてこれを右不履行の際予見し又は予見しうべきであった特段の事情の存在を認めるに足る証拠はない。

五  過失相殺

前認定のとおり、原告は被告から登録免許税の前払の請求を受けたのにこれが支払をせず、不動産業及び金融業という職業柄、原告は、登記申請手続に登録免許税が必要なこと、印鑑証明書に有効期限があること、一般に委任後相当期間内に登記申請手続は完済することを知っていた筈であるのに、委任後山田の印鑑証明書の有効期限徒過までの二か月半余の間被告に対し本件登記手続の進捗状況につき何の問合せをせず、また、本件登記がなされていないことを知った後本件土地につき処分禁止の仮処分を申請するなどの法的措置もとっていないうえ、《証拠省略》によれば、原告は、本件土地につき、滋賀県及び国民金融公庫の前記差押等に優先する、債務者山田眞継、極度額金七〇〇万円の根抵当権設定登記手続を経ていたことが認められるから、原告の山田に対する貸金回収のためには右根抵当権を実行する方法も可能であったのに、滋賀県及び国民金融公庫に前記弁済をしても本件土地を任意処分する方法を選択したものというべく、(なお、被告が抗弁三2で主張する(一)ないし(三)の各事実は原告の過失であるとは考えられない)、そうしてみると、原告の前記各行為(作為及び不作為)もまた被告の前記説明報告義務の不履行とともに被告の前記合計金一六四万六一二〇円の損害の発生に寄与した過失行為であるというべく、そのうち被告の負担割合は二五パーセント金四一万一五三〇円であると認めるのが相当である。

六  まとめ

よって、原告の本訴請求は、金四一万一五三〇円とこれに対する本訴状送達の日の翌日(昭和五九年五月二五日)から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 重吉孝一郎)

<以下省略>

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